凝り固まった価値観
(前回の記事の続きです)
先の記事の通り、なかなか褒めてもらえない子供時代を過ごした私。
「こうであるべき」理論の母には「あるべき」ことを達成しても褒めてはもらえなかった。テストで良い点を取ることや、宿題をしっかりやることは「当たり前」の事として取り上げられず、テストで悪い点だったり、忘れ物をしてしまった時は怒られる。
褒めてもらえるのは、学年の代表のようなものになったり、人より目立つようなことをやったとき。
だから私は、すごくすごく頑張らないと、自分には価値が無いのだと思っていた。
男性に対してもそれは同じで、何も努力せず愛してもらえるわけない、というのが基本で、だから好きな人には、自分から大好きオーラを出して、尽くして、奉仕して・・そしてようやく、愛してもらえるものだと本気で思ってた。
周囲の女の子で、彼からべた惚れされて大切にされて可愛い可愛いと可愛がられてる女の子がいたけど、あんなに愛してもらえるなんて、あの子はどんなメリットを提供してるんだろう、って謎だった。
何しろ、メリットを提供してないと、自分に価値を見出してくれなくなっちゃうんじゃないかと思ってるから、何か喜んでくれることないかな、って尽くし癖がついてて、そういった意味で、最もシンプルに男性が喜んでくれるのが、あの行為。
私にとって、「したい」と言ってもらえることは安心材料だった。
要求に応えてる自分は、価値を見出してもらえてるから。
だからケンカをしたり気まずい雰囲気になったときは、早くその行為をしたかった。
愛情を感じるために、自分から求めることも何度もあった。
そんな私の価値観をハッキリと「おかしい」といった人がいた。
誠君だ。
結婚して、お母さんになって、そんな価値観は自分でもしばらく忘れていた。
でも、誠君を好きになって、また若い頃に思っていた「愛されるためには、彼にメリットを提供しなくちゃ」という感覚が蘇ってきてしまった。
ここでとても困ってしまった私。
若い頃なら「若さ」とか「(若さゆえの)可愛さ」とか、そういった相手が価値を見出してくれそうなものを、私も多分持っていた。
でも、40を過ぎた、子持ちの主婦。。
10年近く「女性」としての自分磨きなどしてこなかったツケで、若さの代わりになる「大人ゆえの落ち着き」とか「色気」(←無いわー・・・)とか、そう言ったアピールポイントが全然ない。
出産前より太ってしまったし、今の自分を見て、自分が男性だったら抱きたいって思うだろうか。。と。
私の中で「これで男性に愛されるなんて無いよね」って図式が成立。
だから、誠君が好きだと言ってくれてからも、心配で仕方がなかった。
あるとき、LINEのやりとりで「私の方は既婚で・・あなたは独身で・・リスクもあるし、何か誠君にメリットってあるかな。。」と言ってしまった。
誠君からは「なんでも、メリット、デメリットで人って動くわけじゃないでしょ?そんなこと考えなくて良いんだよ」って返事が来た。
この時「そうなんだ。。メリットが無くてもいいの?」とびっくりして、とても嬉しかったのを覚えてる。
付き合い始めたら、誠君は今まで私が「良いなぁ」と羨ましかった「彼に大切にされて、可愛がられてる女の子」と同じように私を大切にしてくれた。
勤務場所が自宅に近くて楽な日に、遠くの事務所から帰ってくる私と少しでも一緒に帰れるようにって、家とは逆方向の電車に乗って、近くの駅まで来てくれたり
時間の融通が利きづらい私の為に、いつもいつも彼の方が、私の住むところまでデートしに来てくれたり。
デート代をすべて負担してもらうなんていうのも、初めてのこと。
私の中で何十年とあった「頑張らない私は価値がない」という価値観が、誠君に大切にしてもらうことで「頑張ってなくても、尽くしてなくても、この人は私を大切にしてくれるんだなぁ。私のダメなところも良いところも丸ごと分かって、それでも傍に居てくれると言ってるんだなぁ」って思うようになって、カチカチに凝り固まった私の中の偏った価値観は、少しずつ溶ける氷のように、だんだん、だんだんと小さくなっていった。
でも・・・・最後の最後まで残ってしまったしこりが「あの行為」のこと。
なかなか、これの価値観が変えられなくて、彼も私も、結構苦しむことになる。
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