愛情とエッチの頻度の関係

(前回の続きです)


誠君のおかげで、私は私のままでも誰かに可愛がってもらったり、愛しいと思ってもらえるんだ、と少しずつ思えてきた。
でも、私の中で、今まで最も分かり易く相手から求められて、必要とされて(カラダだとしても)相手を満たしているという存在意義を感じられるあの行為は、男性とお付きあいをする上で、必要不可欠なコトだった。


それは誠君に対してもそうで。
特に、彼は今までの誰よりも、私が愛情を感じらえるようなことをしてくれていて、離婚んの相談に乗ってくれたり、離婚後の不安な気持ちを和らげてくれたり、いろんな部分で私を支えてくれる欠かせない存在になっていて、でも、逆に私が彼に「してあげられてること」と言ったら、一生懸命考えてもほとんどない状態で。


誠君は実際の年齢差があるとはいえ、精神的に成熟していて、一回りも年下の私に相談したり弱みを見せたりをしない。
してあげられることなんて殆どなくて、そうするとやっぱり、せめてあの行為で気持ちよくなってほしい、喜んでほしいって考えてしまう。


付き合い始めの頃は、お互い、いろんなことに興味津々で、それはその行為だけじゃなく、何が好きなのか、趣味は何なのか、どんな考え方なのか、そんな相手のいろんなことを知りたいって気持ちでいっぱいで、だからあの行為についても、誠君からも多少「こんなことしたい」って要望があって、私は喜んでそれに応じた。


でも、どのくらいかな。
半年くらい経った頃かな。
何となく誠君とのやり取りの中で「あんまりエッチしたいって思わないのかな」って思うことが増えてきて。
当時は、週に1~2回の頻度。
会えるだけじゃなく、仲良しできるのはすごく嬉しかったけど、私はできるならもっともっと、したかった。
性欲じゃなくて、前述のとおり、エッチの時に一番、愛されてる実感を感じていたから。


「相手が欲してくれる」=「愛されている」
そう思っていたから。


でも、誠君からは折に触れて
「もう年齢も年齢だし、そんなに頻繁には無理だよー」とか
「そんなにしたら、死んじゃうよ~」とか
「(エッチばかりじゃなくて)顔を見てお喋りしてるだけでも十分楽しいよ」とか
そんな言葉を言われていて
そのたびに、胸の奥が「チク」っと痛くて、言いようのない不安に襲われた。


「相手が欲してくれる」=「愛されている」の図式が成立してる私には
「相手が欲してくれない」=「愛されていない」の図式が成り立ってしまう。
考え方が偏っていることは認識してる。
そうとは限らない、と頭では思っても、気持ちはやっぱり不安になる。


「50代半ばならそういうものかも」とか
「お喋りしてるだけでも、確かに楽しい」って安心できる材料を色々考えても
長年の考えの癖は簡単に抜けなくて
それに・・
ブログで見るお友達の彼さんたちは、やっぱり彼女さんのことを欲してる方が多くて
逆に、冷え切っている奥さんに対しては「抱く気にならないよ」と、言っていたりする。


そういうことからも
好きな女性のことは、男性は抱きたいと思うんじゃないのかな・・と
どうしても思ってしまって
「したくない」なんて誠君は言ってないのに
「たくさんはできない」って言ってるだけなのに
どうしても悪い考え方の癖が出てしまって
「私に魅力が無いから、そう思ってくれないんじゃないか」から始まって
「私のように40過ぎても、彼にメロメロに愛されてるブログのお友達は、きっと自分を普段から磨いて心身ともに美しい人だからなんだろうな。そうじゃない自分は、同じように愛されなくても仕方がないんだ」とかそんな負の気持ちに堕ちていく。



そして、そんな私の様子はすぐ誠君に伝わる。
口数が少なくなって、表情が固くなって、ポーカーフェイスもできないダメな私。



そのたびに誠君は、自分の考えをきちんと話してきてくれた。
「あの行為にそこまで執着がないんだ。
したくない、とか魅力が無いとかじゃなくて。
一緒にご飯食べて、おいしいねって言い合ったり、どこにデートに行こうかって計画をしたり、ビールをかんぱーいってして、仕事の話をしたり、そんなエッチじゃない圧倒的に多い時間を楽しいと過ごせることの方が、私にとってはずっと大切なんだよ」



うん。
うんうん。
私も、おいしいと感じるものが一緒なこと、嬉しい。
電車での帰り道に、次のデートプランをワイワイと話すのも
「お疲れーかんぱーい」って一杯だけ飲んで帰る時間も
どれもこれも、とても楽しくて幸せだと思ってる。



でも、それでも、私が「愛されたいな」と思う頻度に対して
誠君の「愛したい」と思う頻度が少ないという場面に出くわすと
どうしてもどうしても、悲しくなってしまって、惨めになってしまう自分がいる。



「私がもっとあなたの理想に近い身体だったら、もっと抱きたいと思ってくれたんじゃないの?」
「もっともっと、性格も見た目も可愛らしい女性だったら(誠君は可愛らしい人が多分好き)・・」
そんな風に、考えても仕方がない「何か」と比較して
「愛されないのは、私がダメだからなんだ」という結論に達してしまう。



誠君は「愛してない」なんて一言も言ってないのにね。
あの行為の頻度で愛情を測ろうとするのは、私の価値観であって
彼はそうじゃないと、ちゃんと説明してくれてるのに。



それも分かっててるのに、頭と心が連動してくれなくて
今まで何度も何度も、このことが原因で、気まずくなったり、時には
ケンカになったりしてしまってた。



でもね、ひょんなことから、誠君の気持ちが分かるようになった私。
というのも、ここ数か月、体調を崩して、そのせいか、女の子の日が来なかったり、婦人科を受診しないといけないような身体のトラブルがあって・・
私の方がそっちが心配で、あまりその行為をしたいと思えなくなってしまってた期間がありました。



その間、清く正しいデートばかりを重ねていたのだけど
それでも十分に楽しくて満たされて。
自分がエッチができない状況になって、初めて、「エッチができなくても、相手への愛情が変わったり減ったりなんてしないんだな」って実感して。


多分皆さんからしたら「何を言ってるの?」って思われる方も居るかもしれませんが
私の中で、この「腹落ちする感覚」は必要だったのだと思います。


エッチばかりしたがられて、複雑って記事は良くお見掛けするけど
エッチをたくさんはしてもらえなくて悲しくなってる、なんて記事は、レアケースなんだろうな、と思いながら、それでもこの記事を書きながら、改めて自分の気持ちを整理できて良かったと思ってます。



誠君が言ってた言葉。
「エッチしてない時間の方が圧倒的に長いんだから、その時間を楽しく過ごせることの方がよっぽど大切」


今はこの言葉が、本当に本当に納得できて、彼からの愛情をすごく感じる言葉だと思えます。


彼を愛して良かった。