考え方の癖

こんばんは。
早く書きたいと思いながら、時間がとれず遅くなってしまいました。


前回の記事では、たくさんの方から色んな目線からのいろんなご意見をいただけて、本当にありがとうございました。
自分一人では気持ちに折り合いが着けられなくなってしまって、助けを求めるおもいでブログを書きました。


結果、本当にブログに書いて良かったと思いました。
思い返すと、いつもいつもブログに暗い話をかくときは、大抵自分とは異なる考え方や価値観にぶつかって彼の気持ちが分からなくなってしまったり、悪く捉えて落ち込んでしまったり、そんなことばかり繰り返しています。


一方彼は、私の考え方が全く違っていても「人それぞれだからねー」と言って受け入れます。「違っていることが悪い」とも「同じになるように我慢して合わせないと」とも思っておらず、お互いが持っている価値観や考え方が違っていてもよくて、違ったままでも気にならないことはそのままで良いし、違っていることで問題になることは、無理じゃない範囲で合せられる方が合わせたら良い、と思ってるようです。


私はココがよく分からなくて、合せられる方が合わせるということは、合わせている側は「我慢をしてる」「無理をしてる」と言うことにならないの?と思っていました。
自分の本当の望みを封印して我慢して合わせる。
それは私が我慢するのが嫌だ、というより、誠君の方がそうやって我慢をしていたら、いつか私と付き合うことに疲れたり、嫌いになったりしてしまうんじゃないの?という不安という要素の方が大きいです。


なので今回「しばらく会えない。色々考えたい」の期間を数日経たうえで、上記のことを聞いてみました。


彼からは
「我慢と言ってしまえば我慢になるのかもしれないけど、自分が少し頑張ることで相手が嬉しかったり二人が楽しくいられるなら、そうすればいいじゃん、と思ってるだけ。それを辛いとかは思ってないし、無理そうなことは無理だと言ってるし。
基本面倒くさがりだから会社の飲み会の企画とか、行事のプランニングなんて絶対やりたくないと思うけど、ともちゃんとのデートプランの為に色々調べるのは苦じゃない。ともちゃんがプランニングしてくれたら嬉しいけど、家のことや子供のことで忙しいの分かってるし、時間がある自分がやる方が良いと思ってる。
基本的に、あんまりいろんなこと考えないから、あなたが言いたいことを分かってあげられてないのかもしれない」と、言われました。


これを聞いて、なんというか・・彼はもっとずっとシンプルなんだな、って思いました。
我慢だとか、相手の負担だとか、自分のほうがどーのとかそんなことは考えてないんだなって。
好きだから、できることはする。無理なことはやっぱり無理だから断る。
ただそれだけなんだな、って。


私は、子供のころから母から期待される「こうあるべき」というあるべき姿に、少しでも近づけよう、応えようとしていた部分があります。
相手の期待に応えないことは、相手をガッカリさせる「悪いこと」のような感覚すらあります。
そして知らず知らずの内、私は「自分が相手の期待に応えよう」と思うだけじゃなくて、相手にも「私の期待に応えてほしい。応えようとしてくれないのは、私がガッカリしても構わないという意思の表れ」と言う風に思ってしまっていたように思います。


会社や友達と言った距離感の人にはこんなことは思わないのですが
子どもだったり彼のようにとても私に近い信頼できる人に対して、こういった気持ちを要求してしまっていた自分に改めて気づきました。


私は、母の期待に応えることが、とっても苦しかった。窮屈だった。
それなのに、近しい人にそういうことを求めていたんだな・・と自分で自分に少しがっかりしてしまいました。


でも、彼の話を聞いて、もっともっと自分の考え方をフラットにすればいいんだって思えました。
なかなか、考え方の癖を治すのは難しいんですけど、彼と付き合うことで、自分が嫌だと思いながら知らないうちに私の中に根付いてしまった考え方を、少しずつ解いていける、解いていきたいと思いました。


これからも何度も繰り返す気がしますが
そうやって少しずつ、なりたい考えに近づけたらなと思います。


本当にありがとうございました!